20世紀少年のフクベエとカツマタ双子説を徹底考察!双子説を決定づけるセリフとは?

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※壮絶なネタバレ記事なので、結論を知りたくない人は決して読まないでください。

20世紀少年(21世紀少年まで含む)を古本で大人買いして一気読みした。
この漫画は、最終巻読了後、ただちに1巻から読み返したくなる名品だ。
なぜならば、最終巻で出された結論の伏線が、1巻から最終巻にわたって張られているからである。

様々な伏線の中でも興味深いのは、フクベエとカツマタの関係だ。
12巻で悪の親玉「ともだち」であるフクベエは、あっけなくヤマネに射殺される。
しかし、13巻以降に「ともだち」は奇跡の復活を遂げ、そこから本格的に世界滅亡のシナリオが始まる。
唐突に現れたように見える第二の「ともだち」カツマタだが、実は作品の随所に彼の存在が散りばめられているのだ。

カツマタとは一体何なのか。
最終回が発表された当初は、さまざまな考察が繰り広げられていたようだ。
私はその中でも、フクベエとカツマタの双子説を大いに推したい。
この記事では、フクベエとカツマタの双子説について、徹底的に考察する。
手元にある20世紀少年全巻を、何度も読み返した私なりの結論を聞いてほしい。

フクベエとカツマタが双子だと示すセリフ

「フクベエとカツマタは双子」が、私の結論だ。
カツマタがフクベエと見分けがつかない程そっくりなのは、一卵性双生児だからだろう。
20世紀少年ではカツマタに対し「整形だろ?」という指摘があるが、肯定する描写や発言はないので、ミスリードと考える。

とは言え、「顔がそっくり」だけで双子説を推すのは、あまりにも乱暴だろう。
私が双子説を支持するのは、もちろん顔がそっくりなだけではない。
私がフクベエとカツマタが双子だと確信したのは、作品随所に散りばめられたセリフにある。

  • サダキヨ「彼はいつも悩みを聞いてくれた。彼はいつも僕のことを怒ってばかりいた(10巻・169頁)
  • カツマタ「すばらしい。僕の力が遺伝したんだ。偉大な力」(20巻・127頁)
  • カツマタ「僕はフクベエのことをよーく知ってるんだ。ずーっとそばにいたから、自分のことのようにね」(22巻・223頁)

なぜ、フクベエとカツマタは双子なのか、セリフについてじっくり考察していこう。

「彼はいつも悩みを聞いてくれた。彼はいつも僕のことを怒ってばかりいた」

本当にわずかだが、上記は核心に迫るセリフだ。
サダキヨはともだちの2面性を発言で指摘しているが、実は前者がカツマタ、後者がフクベエなのだと私は考える。
作品の前半に当たる10巻で、既に「ともだち」は2人いる伏線が張られていたのだ。

23巻の150頁、サダキヨは子供時代からカツマタの存在を認知している描写がハッキリ書かれている。
サダキヨカツマタに転校を直接告げるのだ。
カツマタは「フクベエは知ってるの?」と聞き、サダキヨは「うーん、まぁ」と言葉を濁す。
実は、サダキヨはフクベエには転校の事実を伝えていない。
16巻92頁では、担任からサダキヨの転校を告げられ、驚いてショックを受けるフクベエが描かれている。

サダキヨにとって、カツマタは転校を告げる友達だったが、フクベエは自分を奴隷のように扱う嫌な奴だったのだろう。
それでも、大人になって「ともだち」側についたのは、カツマタのフォローがあったからではないだろうか。
お面を付けざるを得ない同じ状況に、サダキヨはカツマタに強い共感を覚えたのだと思う。

「すばらしい。僕の力が遺伝したんだ。偉大な力」

作品中には、フクベエとカツマタが双子であることを明らかに示すセリフがこれだ。
カンナはキリコとフクベエの娘である。
キリコはフクベエとカツマタの違いを見分けているので(20巻118頁「声も姿もフクベエにそっくりだけど、あれは別の誰か」とキリコは断言)、フクベエに扮したカツマタが、キリコと子供を作った説は否定できる。

その上で、カツマタはカンナの能力について「僕の力が遺伝したんだ」と言っていることから、フクベエとの血縁者なのは確実だ。
カツマタは妊娠中のキリコに秘薬を投与したようだが(20完125頁)、カンナの能力はカツマタの隔世遺伝なのだろう。
顔も声もそっくりの血縁者=双子という考察は、当然の完論と言える。

「僕はフクベエのことをよーく知ってるんだ。ずーっとそばにいたから、自分のことのようにね」

このセリフも、フクベエとカツマタが双子だと示している。
「ずーっとそばに」の意味は、恐らく生まれる前からという意味が込められているのだろう。
「自分のことのようにね」も、双子のシンパシーから来ている言葉ではないだろうか。
そう考えると、とても深い意味が込められたセリフだとわかる。

20世紀少年におけるカツマタの重要性から双子説を説く

20世紀少年(21世紀少年)を隅々まで読んでも、フクベエとカツマタが双子だと示すセリフはほんのわずかだ。
これだけでは、双子説を決定づける根拠が弱いだろう。

作品では、「ともだち」が誰なのかについて、ヒントが散りばめられているが、ミスリードも多い。
例えば、物語の前半は「ともだち=サダキヨ」に誘導しているのが明らかだ。
しかし、中盤では「ともだち=フクベエ」となり、明確になった瞬間にフクベエは死んでしまう。
その後、第二の「ともだち」が表れ、その正体についてじっくり語られていく流れになっている。

ざっと読むだけでは、「ともだち=カツマタ」の流れは強引に感じるかもしれない。
しかし、20世紀少年は第1巻からカツマタの存在感を強調している。
何より、第1巻の伏線が、最終巻で見事に着地していることから、作者は最初から「ともだち=カツマタ」を前提に作品を書き上げたと私は思っているのだ。

本当の「ともだち」がカツマタであるには、フクベエと双子でなければ不可解な内容が多い。
今度は、20世紀少年におけるカツマタの重要性から、双子説について考察していこう。

カツマタの登場はフクベエよりも早い

前半ではフクベエの存在感がとても大きいが、実は名前が出たのはカツマタの方が先。
しかも、第1巻107頁で、「理科の実験大好きカツマタ君」と明記されている。
このシーンでは、フナ解剖前日に死んで、夜な夜な理科室に化けて出てフナを解剖している噂の登場人物として、カツマタの名前が挙がっていた。

一方、フクベエの登場は2巻94頁である。
6年3組のクラス会で、ケンヂたちの同級生として初登場するのだ。

考察が必要な作品では、主要人物は物語の序盤に出るのがセオリーである。
ラスボスは1巻で登場していなければ、読者に後付け感が残るからだろう。
20世紀少年も考察作品の例外ではないとすれば、1巻に登場したカツマタが、この作品本来のラスボスだと考えるのが妥当だ。
カツマタは最初から吟味され考えつくされたキャラクターであるとわかる。

1巻の伏線はケンヂとカツマタの話として最終話で見事に着地

20世紀少年第1巻は2000年が初版、21世紀少年下巻は2007年が初版、実に7年にも及ぶ長編漫画であるにもかかわらず、1巻の伏線が最終巻ラストで見事に着地している。

1巻の最初で、ケンヂが放送室を占拠し、20世紀少年を流すが「何も変わらなかった…」と呟いている。
しかし、最終巻では自殺を決意したカツマタが、ケンヂの流した20世紀少年を聞いて踏み止まっていたのだ。
人類の約半数を死亡させた諸悪の根源であるカツマタ。
もしも、ケンヂがあのとき20世紀少年を流さなければ、あのまま自殺して死んでいたかもしれない。
間接的とはいえ、ケンヂは20世紀少年を流して、世界の流れを大きく変えてしまったのだ。
このとき、カツマタは「ともだちになってくれる?」と聞き、ケンヂは「別にいいけど」と答えている。
ここから、2人の壮大な遊びは始まった。

物語を通して、フクベエの存在感は非常に大きい。
しかし、20世紀少年がケンヂとカツマタの話であることが、1巻と最終巻の伏線で示されている。

20世紀少年では「本人の意図しない悪意」も大きなテーマと言えるだろう。
カツマタが大きく道を踏み外した原因は、子供時代のケンヂが犯した小さな罪。
もちろん、万引きは犯罪だが、子供だからこそ自分のせいで1人の少年が濡れ衣をかぶせられ、認知的に抹殺された事の大きさに気づかなかったのだろう。
長らく、ケンヂはカツマタについて忘れていたのだ。

カツマタはどんな思いでケンヂに「ともだちになってくれる?」と聞いたのだろうか。
自分を地獄に突き落とした諸悪の根源のケンヂは、自分のことなどすっかり忘れて、あっさりと「別にいいけど」と言ってのけた。
背を向け走り去ったカツマタは、ケンヂへの憧れを捨てきれず、同時に強い憎悪を抱いたに違いない。
作品ではフクベエが世界の破滅の首謀者のように描かれているが、実はカツマタが裏で捜査していたのではないか。
双子であることを利用し、フクベエも知らないところでフクベエに扮し、周囲を操り操作したのではないだろうか。

明確に表現された超能力者の存在

20世紀少年では、第1巻から超能力者の存在が描かれている。
赤ちゃん時代のカンナは、左右どちらに卵ボーロが入っているのか100%当てていた。
その後も、カンナが超能力を使う描写は多々ある。
また、神様の予知能力も、偶然ではなく明らかに超能力だ。

カツマタも超能力者だったのだろう。
それを示す描写は、作中に2カ所ある。

  • ともだちワールドから目覚めるとき、「おまえがこんな風に死ぬとは思わなかったよ」と自分の死について予知している(16巻120頁)
  • 子供のころ、カツマタがフクベエとヤマネに「君が君を殺しちゃうんだ」と発言。「夢の中で大人の僕が言うんだ」と、予知能力について呟いている(22巻44頁以降)

世界を滅亡に導くのは、超能力ではなく人の悪意と狂気だと描写されている。
しかし、この作品には確実に超能力者がいて、話のターニングポイントに大きく関わっている点から、カツマタの重要性についてわかるだろう。

作中でフクベエとカツマタが入れ替わっている描写から双子説を説く

作中では、子供時代から大人に至るまで、フクベエとカツマタが度々入れ替わっていることを匂わせる描写がある。
最もわかやすいのは2巻から伏線が張られているスプーン曲げ事件だ。
その他、登場人物のセリフからも、2人が周囲に知られずに入れ替わっている事実を表している。
詳しく考察しよう。

スプーン曲げ事件は2人の入れ替わりを示している

スプーン曲げ事件にもカツマタは関わっているのは確実だ。
本当にスプーンを曲げられるのがカツマタで、自分の手柄にしようとしたのがフクベエだ。
以下のシーンが根拠となる。

  • 「あの時できたじゃないか。あれは嘘じゃないだろ」と万丈目がフクベエに縋る(13巻26頁)
  • 万丈目が販売用のスプーン(仕掛けなし)を子供に曲げられて酷く驚く(16巻100頁)
  • 万丈目がフクベエ(ヤマネとお面のカツマタも一緒)を見つけて話しかける。「去年の夏、見せてくれたろ?」に答えないフクベエ(16巻108頁)
  • フクベエが「本当にスプーンを曲げた。自粛しないで放送すればいいんだ」「僕は児童Aなんかじゃない」と万丈目に主張(18巻186頁)
  • 「いつもお面かぶってた奴いたな」と言う万丈目にケンヂが「サダキヨか?」と聞くと、「知らねえ」と答える(23巻139頁)

フクベエはカツマタの存在を子供時代から隠していた。
大人になっても、周囲には双子であるカツマタをずっと隠し、影武者として使っていたのだろう。
しかし、2人は子供時代から度々入れ替わっている。

万丈目が最初に出会ったスプーン曲げの少年は、恐らくカツマタで、本物の超能力だ。
しかし、再会時に万丈目が話しかけたのはフクベエ。
そのため、スプーン曲げの記憶がなく、何も答えずにその場を去ったと思われる。
自分と見間違いをする存在はカツマタしかおらず、このとき、フクベエはカツマタの超能力について知ったのではないか(スプーン曲げできる程度の能力という認識だったのだろう)。
その後、万丈目に改めて会い、自分が脚光を浴びるために、カツマタを利用したのだ。

万丈目とテレビに出てインチキ呼ばわりされたのは、カツマタだと推測。
トリックがバレたのではなく、不可解過ぎる能力に、放送自粛したのが事実だと思われる。
だからフクベエは「本当にスプーンを曲げた」と断言しておきながら、「児童Aは僕じゃない」と言っているのだ。
有名人になりたかったのに、悪い意味で注目されて不満だっただろう。

一連のストーリーは、フクベエとカツマタが双子で、度々入れ替わっている事実を表現している。

登場人物のセリフからも入れ替わりがわかる

直接的な表現はないが、登場人物のセリフにも、2人が入れ替わっていることを示している。

  • フクベエのセリフ「君は誰?サダキヨ?違うよ。カツマタ君?違うよ。君は誰だ?」(16巻45頁)
  • 茶髪ロン毛の殺し屋(本名不明)のセリフ「あなたこないだの人と同じ?」(19巻160頁)

理由はわからないが、子供時代からフクベエはカツマタを利用して入れ替わっていたのだろう。
万博に行けず家にこもりきりで精神不安定になったとき、自分と入れ替わっている存在(サダキヨ、カツマタ)と自己の混濁を起こしている。

また、本名がないのに意外と鋭い茶髪殺し屋も、ともだち組織の初期からフクベエともう1人の存在に気付いていたようだ。
彼にとっては重大ではないので、スルーしていたのだろう。

2巻で登場しケンヂたちと行動を共にしたのはカツマタ?

最も重要なのが、2巻から登場したフクベエについてだ。
いくつか考察記事を読んだが、「ケンヂと行動を共にしたフクベエは、実はカツマタだったのでは?」という説があった。
だとしたら、非常に納得がいく。
2~8巻のフクベエがカツマタだと示すヒントが、作品にはいくつもあるのだ。

  • フクベエの寝室に20センチュリーボーイのCDが置かれていた(3巻120頁)
  • 「フクベエがよくかけていたテープ」を車内で聴くケンヂとマルオ(7巻191頁)
  • ケンヂ「おまえがどれだけ酷いことをしたかよく見ろ」フクベエ「相変わらず…おもしろいねケンヂくんは」(8巻46頁)

作品名である20世紀少年。
第1巻でケンヂが放送室ジャックし流した曲も、20世紀少年で、それによってカツマタは生きることを選び、世界は滅亡の危機に瀕した重要なアイテムだ。
20世紀少年の思い出は、ケンヂとカツマタのものである。
カツマタがケンヂたちの仲間になったのは、フクベエからスパイを命じられたのかもしれない。
その中で、20世紀少年を使い、ケンヂに向けて自分がカツマタであることを発信していたのではないか。

しかし、ケンヂは全く気付かないのである。
フクベエが自分に嫉妬し憎悪していることも、カツマタが濡れ衣を着せられて恨んでいることも、気付きやしない。
もちろん、中学生時代の屋上の出来事も、きれいさっぱり忘れている。
カツマタにとってはショックだっただろう。

もしかしたら、カツマタは最後のチャンスをケンヂに与えていたのかもしれない。
ケンヂがカツマタだと気付き、当時の思い出を守り、バッヂを盗んだことを謝罪していれば、悲劇は止められたのではないか…。

結局ケンヂはともだちと対峙することになる。
自分の悪事を綺麗に忘れ、自分の行動で今の事態を招いていることに気付かないケンヂから「おまえがどれだけ酷いことをしたかよく見ろ」と言うのだ。
カツマタにとっては、「おまえが言うか?」の世界。
矛盾だらけのケンヂに「相変わらず…おもしろいねケンヂくんは」と皮肉ったのだ。

このシーンが全てフクベエならば、起こり得ない描写が多過ぎる。
やはり、ケンヂの仲間を装ったのは、カツマタなのだろう。

フクベエとカツマタが双子だと周囲が気付かない理由

双子説がスッキリしないのは、「同学年に双子がいれば、認知されないわけがないだろう」というのが原因だ。
これについては、ネット上で「フクベエとカツマタは離婚して別々の姓を名乗っている」という説が有力。
私もこの説を推したい。

作品には明記されておらず、フクベエとカツマタについては謎が多い。
しいて言うなら、他の登場人物には家族の存在感があるのに対し、主要人物である2人には、親や保護者の存在感がない点だ。
どちらもシングルマザー、シングルファザーで、日中親が働きに出ている前提にすれば、描写がないのは納得できる。
両親の離婚については、作中に全く描写がないため、あくまでも推測だ。

この作品には、「人の記憶はあいまい」という裏テーマがあると思う。
自分の子供時代を思えばわかるだろう。
確かに自分が経験してきたのに、一部を除いて記憶は非常にあいまいだ。
しかも、子供の理解力前提の記憶である。
カツマタやサダキヨが死んだ人扱いされているのも、子供ならではの曖昧さが原因だ。
作者はあえて明確な描写をしないことで、読者の想像力と推理力をかき立てたかったのかもしれない。

物語の解釈は人それぞれ

フクベエとカツマタの双子説は、私独自の解釈だ。
20世紀少年の考察は非常に奥深く、他の説も多々ある。
「カツマタはケンヂと遊びたかっただけ」という意見もあるようだ。

この物語は、カツマタのためにあると私は考える。
悪に染まり、地球を滅亡させようとしたのは、さまざまな要因が絡み合っていたからだろう。
「ともだち組織」の仲間たちは、多かれ少なかれ精神を病んでいる。
中でも、子供のころからフクベエの影武者のように生きてきて、存在を抹殺されたに等しいフクベエの心は、どんなに歪んでいただろう。

ケンヂへの強いあこがれを抱き、だからこそ絶望し憎悪したカツマタ。
本当はケンヂに救いを求め、「止めてくれ!」と叫んでいたのかもしれない。
だから、死ぬ間際にケンヂの歌を聞きたがったのだろう。

子供時代の悪事は、誰にでもあるものだ。
わたしにも心当たりがいくつもある。
特に昭和の子供は自由度が高く、子供だけの世界の中で、「悪い事」と自覚せずに色々なことをやらかしたものだ。

しかし「子供だから仕方ない」では済まされない。
罪悪感を抱きつつ、大人になるまでにどう変わるか、その大切さが作品から伝わってきた。
道を外したともだち組織とケンヂ一派、もしかしたら、紙一重で立場は逆転していたのかもしれない。
子供時代の不幸は、自分の努力では回避できないものが多過ぎるのだから。

追記:20世紀少年完成版では加筆で「フクベエは小学生の時に死んだ」という設定になっていると知って「嘘だろ!?!?」ってなってる。

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